白癜风的症状图片 http://www.xftobacco.com/hcbx/hztj/m/狂人日記魯迅井上紅梅訳某君兄弟数人はいずれもわたしの中学時代の友達で、久しく別れているうち便りも途絶えがちになった。先頃ふと大病たいびょうに罹かかった者があると聞いて、故郷こきょうに帰る途中立寄ってみるとわずかに一人に会った。病気に罹ったのはその人の弟で、君がせっかく訪ねて来てくれたが、本人はもうスッカリ全快して官吏候補となり某地へ赴任したと語り、大笑いして二冊の日記を出した。これを見ると当時の病状がよくわかる。旧友諸君に献じてもいいというので、持ち帰って一読してみると、病気は迫害狂の類で、話がすこぶるこんがらがり、筋が通らず出鱈目でたらめが多い。日附ひづけは書いてないが墨色すみいろも書体も一様でないところを見ると、一時じに書いたものでないことが明らかで、間々まま聯絡れんらくがついている。専門家が見たらこれでも何かの役に立つかと思って、言葉の誤りは一字もなおさず、記事中の姓名だけを取換えて一篇にまとめてみた。書名は本人平癒後自ら題したもので、そのまま用いた。七年四月二日しるす。
某君昆仲,今隐其名,皆余昔日在中学时良友;分隔多年,消息渐阙。日前偶闻其一大病;适归故乡,迂道往访,则仅晤一人,言病者其弟也。劳君远道来视,然已早愈,赴某地候补矣。因大笑,出示日记二册,谓可见当日病状,不妨献诸旧友。持归阅一过,知所患盖“迫害狂”之类。语颇错杂无伦次,又多荒唐之言;亦不著月日,惟墨色字体不一,知非一时所书。间亦有略具联络者,今撮录一篇,以供医家研究。记中语误,一字不易;惟人名虽皆村人,不为世间所知,无关大体,然亦悉易去。至于书名,则本人愈后所题,不复改也。七年四月二日识。
一 今夜は大層月の色がいい。 乃公おれは三十年あまりもこれを見ずにいたんだが、今夜見ると気分が殊ことの外ほかサッパリして初めて知った、前の三十何年間は全く夢中であったことを。それにしても用心するに越したことはない。もし用心しないでいいのなら、あの趙家ちょうけの犬めが何だって乃公の眼を見るのだろう。 乃公が恐れる理わけがある。
今天晚上,很好的月光。
我不见他,已是三十多年;今天见了,精神分外爽快。才知道以前的三十多年,全是发昏;然而须十分小心。不然,那赵家的狗,何以看我两眼呢?
我怕得有理。
二 今夜はまるきり月の光が無い。乃公はどうも変だと思って、早くから気をつけて門を出たが、趙貴翁ちょうじいさんの目付めつきがおかしいぞ。乃公を恐れているらしい。乃公をやっつけようと思っているらしい。ほかにまだ七八人もいるが、どれもこれも頭や耳を密著くっつけて乃公の噂をしている。乃公に見られるのを恐れている。往来の人は皆そんな風だ。中にも薄気味の悪い、最もあくどい奴は口をおッぴろげて笑っていやがる。乃公は頭の天辺てっぺんから足の爪先つまさきまでひいやりとした。解った。彼らの手配がもうチャンと出来たんだ。乃公はびくともせずに歩いていると、前の方で一群の子供がまた乃公の噂をしている。目付は趙貴翁と酷似そっくりで、顔色は皆鉄青てっせいだ。一体乃公は何だってこんな子供から怨みを受けているのだろう。とてもたまったものじゃない。大声あげて「お前は乃公にわけを言え」と怒鳴ってやると彼らは一散に逃げ出した。 乃公と趙貴翁とは何の怨みがあるのだろう。往来の人にもまた何の怨みがあるのだろう。そうだ。二十年前、古久こきゅう先生の古帳面ふるちょうめんを踏み潰したことがある。あの時古久先生は大層不機嫌であったが、趙貴翁と彼とは識合しりあいでないから、定めてあの話を聞伝ききつたえて不平を引受け、往来の人までも乃公に怨みを抱くようになったのだろう。だが子供等は一体どういうわけだえ。あの時分にはまだ生れているはずがないのに、何だって変な目付でじろじろ見るのだろう。乃公を恐れているらしい。乃公をやっつけようと思っているらしい。本当に恐ろしいことだ。本当に痛ましいことだ。 おお解った。これはてっきりあいつ等のお袋が教えたんだ。
今天全没月光,我知道不妙。早上小心出门,赵贵翁的眼色便怪:似乎怕我,似乎想害我。还有七八个人,交头接耳的议论我,张着嘴,对我笑了一笑;我便从头直冷到脚根,晓得他们布置,都已妥当了。
我可不怕,仍旧走我的路。前面一伙小孩子,也在那里议论我;眼色也同赵贵翁一样,脸色也铁青。我想我同小孩子有什么仇,他也这样。忍不住大声说,“你告诉我!”他们可就跑了。
我想:我同赵贵翁有什么仇,同路上的人又有什么仇;只有廿年以前,把古久先生的陈年流水簿子,踹了一脚,古久先生很不高兴。赵贵翁虽然不认识他,一定也听到风声,代抱不平;约定路上的人,同我作冤对。但是小孩子呢?那时候,他们还没有出世,何以今天也睁着怪眼睛,似乎怕我,似乎想害我。这真教我怕,教我纳罕而且伤心。
我明白了。这是他们娘老子教的!
三 一晩じゅう睡ねむれない。何事も研究してみるとだんだん解って来る。 彼等は――知県ちけんに鞭打たれたことがある。紳士から張手はりでを食くらったことがある。小役人から嚊かかあを取られたことがある。また彼等の親達が金貸からとっちめられて無理死むりじにをさせられたことがある。その時の顔色でもきのうのようなあんな凄いことはない。 最も奇怪に感じるのは、きのう往来で逢ったあの女だ。彼女は子供をたたいてじっとわたしを見詰みつめている。「叔おじさん、わたしゃお前に二つ三つ咬かみついてやらなければ気が済まない」これにはわたしも全くおどかされてしまったが、あの牙ムキ出しの青ッ面つらが何だかしらんが皆笑い出した。すると陳老五ちんろうごがつかつか進んで来て、わたしをふんづかまえて家うちへ連れて行った。家うちの者はわたしを見ても知らん振りして書斎に入ると鑰かぎを掛け、まるで鶏鴨とりがものように扱われているが、このことはどうしてもわたしの腑に落ちない。 四五日前に狼村おおかみむらの小作人が不況を告げに来た。彼はわたしの大おおアニキと話をしていた。村に一人の大悪人だいあくにんがあって寄ってたかって打殺うちころしてしまったが、中には彼の心臓をえぐり出し、油煎あぶらいりにして食べた者がある。そうすると肝が太くなるという話だ。わたしは一言ひとこと差出口さしでぐちをすると、小作人と大アニキはじろりとわたしを見た。その目付がきのう逢った人達の目付に寸分違いのないことを今知った。 想い出してもぞっとする。彼等は人間を食い馴なれているのだからわたしを食わないとも限らない。 見たまえ。……あの女がお前に咬みついてやると言ったのも、大勢の牙ムキ出しの青面あおつらの笑も、先日の小作人の話も、どれもこれも皆暗号だ。わたしは彼等の話の中から、そっくりそのままの毒を見出し、そっくりそのままの刀を見出す、彼等の牙は生白なまじろく光って、これこそ本当に人食いの道具だ。 どう考えても乃公は悪人ではないが、古久先生の古帳面に蹶躓けつまづいてからとても六むツかしくなって来た。彼等は何か意見を持っているようだが、わたしは全く推測が出来ない。まして彼等が顔をそむけて乃公を悪人と言い布ふらすんだからサッパリわからない。それで想い出したが、大アニキが乃公に論文を書かせてみたことがある。人物評論でいかなる好人物でもちょっとくさした句があると、彼はすぐに圏点けんてんをつける。人の悪口あくこうを書くのがいいと思っているので、そういう句があると「翻天妙手ほんてんみょうしゅ、衆と同じからず」と誉め立てる。だから乃公には彼等の心が解るはずがない。まして彼等が人を食おうと思う時なんかは。 何なんに限らず研究すればだんだんわかって来るもので、昔から人は人をしょっちゅう食べている。わたしもそれを知らないのじゃないがハッキリ覚えていないので歴史を開けてみると、その歴史には年代がなく曲り歪んで、どの紙の上にも「仁道義徳」というような文字が書いてあった。ずっと睡ねむらずに夜中まで見詰めていると、文字の間からようやく文字が見え出して来た。本一ぱいに書き詰めてあるのが「食人」の二字。 このたくさんの文字は小作人が語った四方山よもやまの話だ。それが皆ゲラゲラ笑い出し、気味の悪い目付でわたしを見る。 わたしもやっぱり人間だ。彼等はわたしを食いたいと思っている。
晚上总是睡不着。凡事须得研究,才会明白。
他们——也有给知县打枷过的,也有给绅士掌过嘴的,也有衙役占了他妻子的,也有老子娘被债主逼死的;他们那时候的脸色,全没有昨天这么怕,也没有这么凶。
最奇怪的是昨天街上的那个女人,打他儿子,嘴里说道,“老子呀!我要咬你几口才出气!”他眼睛却看着我。我出了一惊,遮掩不住;那青面獠牙的一伙人,便都哄笑起来。陈老五赶上前,硬把我拖回家中了。
拖我回家,家里的人都装作不认识我;他们的脸色,也全同别人一样。进了书房,便反扣上门,宛然是关了一只鸡鸭。这一件事,越教我猜不出底细。
前几天,狼子村的佃户来告荒,对我大哥说,他们村里的一个大恶人,给大家打死了;几个人便挖出他的心肝来,用油煎炒了吃,可以壮壮胆子。我插了一句嘴,佃户和大哥便都看我几眼。今天才晓得他们的眼光,全同外面的那伙人一模一样。
想起来,我从顶上直冷到脚跟。
他们会吃人,就未必不会吃我。
你看那女人“咬你几口”的话,和一伙青面獠牙人的笑,和前天佃户的话,明明是暗号。我看出他话中全是毒,笑中全是刀。他们的牙齿,全是白厉厉的排着,这就是吃人的家伙。
照我自己想,虽然不是恶人,自从踹了古家的簿子,可就难说了。他们似乎别有心思,我全猜不出。况且他们一翻脸,便说人是恶人。我还记得大哥教我做论,无论怎样好人,翻他几句,他便打上几个圈;原谅坏人几句,他便说“翻天妙手,与众不同”。我那里猜得到他们的心思,究竟怎样;况且是要吃的时候。
凡事总须研究,才会明白。古来时常吃人,我也还记得,可是不甚清楚。我翻开历史一查,这历史没有年代,歪歪斜斜的每叶上都写着“仁义道德”几个字。我横竖睡不着,仔细看了半夜,才从字缝里看出字来,满本都写着两个字是“吃人”!
书上写着这许多字,佃户说了这许多话,却都笑吟吟的睁着怪眼看我。
我也是人,他们想要吃我了!
四 朝、静坐せいざしていると、陳老五が飯を運んで来た。野菜が一皿、蒸魚むしうおが一皿。この魚の眼玉は白くて硬く、口をぱくりと開けて、それがちょうど人を食いたいと思っている人達のようだ。箸をつけてみると、つるつるぬらぬらして魚かしらん、人かしらん。そこではらわたぐるみそっくり吐き出した。「老五、アニキにそう言ってくれ。乃公は気がくさくさして堪らんから庭内を歩こうと思う」 老五は返事もせずに出て行ったが、すぐに帰って来て門を開けた。 わたしは身動きもせずに彼等の手配を研究した。彼等は放すはずはない。果してアニキは一人のおやじを引張って来てぶらぶら歩いて来た。彼の眼には気味悪い光が満ち、わたしの看破りを恐れるように、ひたすら頭を下げて地に向い、眼鏡の横べりからチラリとわたしを眺めた。アニキは言った。「お前、きょうはだいぶいいようだね」「はい」「きょうは何先生かせんせいに来ていただいたから、見てもらいな」「ああそうですか」 実際わたしはこの親爺が首斬くびきり役であるのを知らずにいるものか。脈を見るのをつけたりにして肉付を量り、その手柄で一分の肉の分配にあずかろうというのだ。乃公はもう恐れはしない。肉こそ食わぬが、胆魂きもたまはお前達よりよっぽど太いぞ。二つの拳固を差出して彼がどんな風に仕事をするか見てやろう。親爺は坐っていながら眼を閉じて、しばらくはさすってみたり、またぽかんと眺めてみたり、そうして鬼の眼玉を剥き出し「あんまりいろんな事を考えちゃいけません。静かにしているとじきに好くなります」 フン、あんまりいろんな事を考えちゃいけません、静かにしていると肥りまさあ! 彼等は余計に食べるんだからいいようなものの乃公には何のいいことがある。じきに「好くなります」もないもんだ。この大勢の人達は人を食おうと思って陰かげになり陽ひなたになり、小盾になるべき方法を考えて、なかなか手取早く片附けてしまわない、本当にお笑草わらいぐさだ。乃公は我慢しきれなくなって大声上げて笑い出し、すこぶる愉快になった。自分はよく知っている。この笑声の中には義勇と正気がある。親爺とアニキは顔色を失った。乃公の勇気と正気のために鎮圧されたんだ。 だがこの勇気があるために彼等はますます乃公を食いたく思う。つまり勇気に肖あやかりたいのだ。親爺は門を跨いで出ると遠くも行かぬうちに「早く食べてしまいましょう」と小声で言った。アニキは合点した。さてはお前が元なんだ。この一大発見は意外のようだが決して意外ではない。仲間を集めて乃公を食おうとするのは、とりもなおさず乃公のアニキだ。 人を食うのは乃公のアニキだ! 乃公は人食ひとくいの兄弟だ! 乃公自身は人に食われるのだが、それでもやっぱり人食の兄弟だ!
早上,我静坐了一会儿。陈老五送进饭来,一碗菜,一碗蒸鱼;这鱼的眼睛,白而且硬,张着嘴,同那一伙想吃人的人一样。吃了几筷,滑溜溜的不知是鱼是人,便把他兜肚连肠的吐出。
我说“老五,对大哥说,我闷得慌,想到园里走走。”老五不答应,走了;停一会,可就来开了门。
我也不动,研究他们如何摆布我;知道他们一定不肯放松。果然!我大哥引了一个老头子,慢慢走来;他满眼凶光,怕我看出,只是低头向着地,从眼镜横边暗暗看我。大哥说,“今天你仿佛很好。”我说“是的。”大哥说,“今天请何先生来,给你诊一诊。”我说“可以!”其实我岂不知道这老头子是刽子手扮的!无非借了看脉这名目,揣一揣肥瘠:因这功劳,也分一片肉吃。我也不怕;虽然不吃人,胆子却比他们还壮。伸出两个拳头,看他如何下手。老头子坐着,闭了眼睛,摸了好一会,呆了好一会;便张开他鬼眼睛说,“不要乱想。静静的养几天,就好了。”
不要乱想,静静的养!养肥了,他们是自然可以多吃;我有什么好处,怎么会“好了”?他们这群人,又想吃人,又是鬼鬼祟祟,想法子遮掩,不敢直截下手,真要令我笑死。我忍不住,便放声大笑起来,十分快活。自己晓得这笑声里面,有的是义勇和正气。老头子和大哥,都失了色,被我这勇气正气镇压住了。
但是我有勇气,他们便越想吃我,沾光一点这勇气。老头子跨出门,走不多远,便低声对大哥说道,“赶紧吃罢!”大哥点点头。原来也有你!这一件大发见,虽似意外,也在意中:合伙吃我的人,便是我的哥哥!
吃人的是我哥哥!
我是吃人的人的兄弟!
我自己被人吃了,可仍然是吃人的人的兄弟!
五 この幾日の間は一歩退いて考えてみた。たといあの親爺が首斬役でなく、本当の医者であってもやはり人食人間だ。彼等の祖師李時珍りじちんが作った「本草ほんそう何とか」を見ると人間は煎じて食うべしと明かに書いてある。彼はそれでも人肉を食わぬと言うことが説き得ようか。 家うちのアニキと来ては、全くそう言われても仕方がない。彼は本の講義をした時、あの口からじかに「子こを易かへて而しかして食くらふ」と言ったことがある。また一度、偶然ある好からぬ者に対して議論をしたことがある。その時の話に、彼は殺されるのが当然で、まさにその肉を食くらいその皮に寝いぬべしと言った。当時わたしはまだ小さかったが、しばらくの間胸がドキドキしていた。先日狼村ろうそんの小作人が来て、肝を食べた話をすると、彼は格別驚きもせずに絶えず首を揺り動うごしていた。そら見たことか、おお根が残酷だ。「子こを易かへて而しかして食くらふ」がよいことなら、どんなものでも皆易かえられる。どんな人でも皆食い得られる。わたしは彼の講義を迂濶に聞いていたが、今あの時のことを考えてみると、彼の口端には人間の脂がついていて、腹の中には人を食いたいと思う心がハチ切れるばかりだ。
这几天是退一步想:假使那老头子不是刽子手扮的,真是医生,也仍然是吃人的人。他们的祖师李时珍做的“本草什么⑷”上,明明写着人肉可以煎吃;他还能说自己不吃人么?
至于我家大哥,也毫不冤枉他。他对我讲书的时候,亲口说过可以“易子而食”;又一回偶然议论起一个不好的人,他便说不但该杀,还当“食肉寝皮”。我那时年纪还小,心跳了好半天。前天狼子村佃户来说吃心肝的事,他也毫不奇怪,不住的点头。可见心思是同从前一样狠。既然可以“易子而食”,便什么都易得,什么人都吃得。我从前单听他讲道理,也糊涂过去;现在晓得他讲道理的时候,不但唇边还抹着人油,而且心里满装着吃人的意思。
六 真黒けのけで、昼かしらん夜かしらん。趙家の犬が哭き出しやがる。 獅子に似た兇心、兎の怯懦きょうだ、狐狸こりの狡猾……
黑漆漆的,不知是日是夜。赵家的狗又叫起来了。
狮子似的凶心,兔子的怯弱,狐狸的狡猾,……
七 わたしは彼等の手段を悟った。手取り早く殺してしまうことは、いやでもあるし、またやろうともしないのだ。罪祟りを恐れているから、衆みなの者が連絡を取って網を張り詰め、わたしに自害を迫っているのだ。四五日このかた往来の男女の様子を見ても、アニキの行動を見ても八九分通りは悟られて来た。一番都合のいいのは、帯を解いて梁はりに掛け、自分で縊くびれて死ねば彼等に殺人の罪名がないわけだ。そうすれば自然願いが通って皆大喜びで鼠泣きするだろう。しかし驚き恐れ憂い悲しんで死んでも、いくらか痩せるくらいでまんざら役に立たないことはない。 彼等は死肉を食べつつある!――何かの本に書いてあったことを想い出したが、「海乙那かいおつな」という一種の代物がある。眼光めつきと様子がとても醜い。いつも死肉を食って、どんな大きな骨でもパリパリと咬み砕き、腹の中に嚥のみ下してしまう。想い出しても恐ろしいものだが、この「海乙那」は狼の親類で、狼は犬の本家である。先日趙家の犬めが幾度も乃公を見たが、さてこそ彼も一味徒*で、もう接洽ひきあいもすんでいるのだろう。あの親爺がいくら地面を眺めたって、乃公を胡魔化すことが出来るもんか。中にも気の毒なのは乃公のアニキだ。彼だって人間だ。恐ろしい事とも思わずに何ゆえ仲間を集めて乃公を食うのだろう。やっぱり永年ながねんのしきたりで悪い事とは思っていないのだろう。それとも良心を喪失してしまって、知っていながらことさら犯しているのだろう。 わたしは食人者を呪う。まず彼から発起して食人の人達を勧誘し、また彼から先手をつける。
我晓得他们的方法,直捷杀了,是不肯的,而且也不敢,怕有祸祟。所以他们大家连络,布满了罗网,逼我自戕。试看前几天街上男女的样子,和这几天我大哥的作为,便足可悟出八九分了。最好是解下腰带,挂在梁上,自己紧紧勒死;他们没有杀人的罪名,又偿了心愿,自然都欢天喜地的发出一种呜呜咽咽的笑声。否则惊吓忧愁死了,虽则略瘦,也还可以首肯几下。
他们是只会吃死肉的!——记得什么书上说,有一种东西,叫“海乙那”的,眼光和样子都很难看;时常吃死肉,连极大的骨头,都细细嚼烂,咽下肚子去,想起来也教人害怕。“海乙那”是狼的亲眷,狼是狗的本家。前天赵家的狗,看我几眼,可见他也同谋,早已接洽。老头子眼看着地,岂能瞒得我过。
最可怜的是我的大哥,他也是人,何以毫不害怕;而且合伙吃我呢?还是历来惯了,不以为非呢?还是丧了良心,明知故犯呢?
我诅咒吃人的人,先从他起头;要劝转吃人的人,也先从他下手。
八 実際この種の道理は今になってみると、彼等もわかり切っているのだ。 ひょっくり一人の男が来た。年頃は二十前後で、人相はあまりハッキリしていないが、顔じゅうに笑いを浮べてわたしに向ってお辞儀をした。彼の笑いは本当の笑いとは見えない。わたしは訊いてみた。「人食いの仕事は旨く行ったかね」 彼はやっぱり笑いながら話した。「餓饉年じゃあるまいし、人を食うことなど出来やしません」 わたしは彼が仲間であることにすぐに気がついた。人を食うのを喜ぶのだろうと思うと、勇気百倍して無理にも訊いてやろうと思う。「うまく行ったかえ」「そんなことを訊いてどうするんだ。お前は本統ほんとうにわかるのかね。冗当を言っているんじゃないかな。きょうは大層いい天気だよ」 天気もいいし月も明るい。だが乃公はお前に訊くつもりだ。「うまく行ったかえ」 彼はいけないと思っているのだろう。あいまいの返辞をした。「いけ……」「いけない? あいつ等はもう食ってしまったんだろう」「ありもしないこと」「ありもしないこと? 狼村ろうそんでは現在食べているし、本にもちゃんと書いてある。出来立てのほやほやだ」 彼は顔色を変えて鉄のように青くなり目をみはって言った。「あるかもしれないが、まあそんなものさ……」「まあそんなものだ。じゃ旨く行ったんだね」「わたしはお前とそんな話をするのはいやだ。どうしてもお前は間違っている。話をすればするほど間違って来る」 わたしは跳び上って眼を開けると、体じゅうが汗びっしょりになり、その人の姿は見えない。年頃はわたしのアニキよりもずっと若いがこいつはテッキリ仲間の一人に違いない。きっと彼等の親達が彼に教えて、そうしてまた彼の子供に伝えるのだろう。だから小さな子供等が皆憎らしげにわたしを見る。
其实这种道理,到了现在,他们也该早已懂得,……
忽然来了一个人;年纪不过二十左右,相貌是不很看得清楚,满面笑容,对了我点头,他的笑也不像真笑。我便问他,“吃人的事,对么?”他仍然笑着说,“不是荒年,怎么会吃人。”我立刻就晓得,他也是一伙,喜欢吃人的;便自勇气百倍,偏要问他。
“对么?”
“这等事问他什么。你真会……说笑话。……今天天气很好。”
天气是好,月色也很亮了。可是我要问你,“对么?”
他不以为然了。含含胡胡的答道,“不……”
“不对?他们何以竟吃?!”
“没有的事……”
“没有的事?狼子村现吃;还有书上都写着,通红崭新!”
他便变了脸,铁一般青。睁着眼说,“有许有的,这是从来如此……”
“从来如此,便对么?”
“我不同你讲这些道理;总之你不该说,你说便是你错!”
我直跳起来,张开眼,这人便不见了。全身出了一大片汗。他的年纪,比我大哥小得远,居然也是一伙;这一定是他娘老子先教的。还怕已经教给他儿子了;所以连小孩子,也都恶狠狠的看我。
九 自分で人を食えば、人から食われる恐れがあるので、皆疑い深い目付をして顔と顔と覗き合う。この心さえ除き去れば安心して仕事が出来、道を歩いても飯を食っても睡眠しても、何と朗らかなものであろう。ただこの一本の閾しきい、一つの関所があればこそ、彼らは親子、兄弟、夫婦、朋友、師弟、仇敵、各々相識しらざる者までも皆一団にかたまって、互に勧め合い互に牽制し合い、死んでもこの一歩を跨ぎ去ろうとはしない。
自己想吃人,又怕被别人吃了,都用着疑心极深的眼光,面面相觑。……
去了这心思,放心做事走路吃饭睡觉,何等舒服。这只是一条门槛,一个关头。他们可是父子兄弟夫妇朋友师生仇敌和各不相识的人,都结成一伙,互相劝勉,互相牵掣,死也不肯跨过这一步。
十 朝早くアニキの所へ行ってみると、彼は堂門の外で空を眺めていた。わたしは彼の後ろから近寄って門前に立ち塞がり、いとも静かにいとも親しげに彼に向って言った。「兄さん、わたしはあなたに言いたいことがある」「お前、言ってごらん」 彼は顔をこちらに向けて頭を動かした。「わたしは二つ三つ話をすればいいのだが、旨く言い出せるかしら。兄さん、大抵初めの野蛮人は皆人を食っていた。後になると心の持方が違って来て、中には人を食わぬ者もあり、その人達は質たちのいい方で人間に成り変り、真の人間に成り変った。またある者は虫ケラ同様にいつまでも人を食っていた。またある者は魚鳥や猿に変化し、それから人間に成り変った。またある者は善いことをしようとは思わず、今でもやはり虫ケラだ。この人を食う人達は人を食わぬ人達に比べてみると、いかにも忌わしい愧はずべき者ではないか。おそらく虫ケラが猿に劣るよりももっと甚だしい。 易牙えきがが彼の子供を蒸して桀紂けっちゅうに食わせたのはずっと昔のことで誰だってよくわからぬが、盤古が天地を開闢かいびゃくしてから、ずっと易牙の時代まで子供を食い続け、易牙の子からずっと徐錫林じょしゃくりんまで、徐錫林から狼村で捉まった男までずっと食い続けて来たのかもしれない。去年も城内で犯人が殺されると、癆症ろうしょう病みの人が彼の血を饅頭にひたして食った。 あの人達がわたしを食おうとすれば、全くあなた一人では法返しがつくまい。しかし何も向うへ行って仲間入をしなければならぬということはあるまい。あの人達がわたしを食えばあなたもまた食われる。結局仲間同志の食い合いだ。けれどちょっと方針を変えてこの場ですぐに改めれば、人々は太平無事で、たとい今までの仕来しきたりがどうあろうとも、わたしどもは今日こんにち特別の改良をすることが出来る。なに、出来ないと被仰おっしゃるるのか。兄さん、あなたがやればきっと出来ると思う。こないだ小作人が減租を要求した時、あなたが出来ないと撥ねつけたように」 最初彼はただ冷笑するのみであったが、まもなく眼が気味悪く光って来て、彼等の秘密を説き破った頃には顔じゅうが真青になった。表門の外には大勢の人が立っていて、趙貴翁と彼の犬もその中に交って皆恐る恐る近寄って来た。ある者は顔を見られぬように頬かぶりをしていたようでもあった。ある者はやはりいつもの青面あおづらで出歯でっぱを抑えて笑っていた。わたしは彼等が皆一つ仲間の食人種であることを知っているが、彼等の考かんがえが皆一様でないことも知っている。その一種は昔からの仕来りで人を食っても構わないと思っている者で、他の一種は人を食ってはいけないと知りながら、やはり食いたいと思っている者である。彼等は他人に説破されることを恐れているのでわたしの話を聞くとますます腹を立て口を尖らせて冷笑している。 この時アニキはたちまち兇相を現わし、大喝一声した。「皆出て行け、気狂きちがいを見て何が面白い」 同時にわたしは彼等の巧妙な手段を悟った。彼等は改心しないばかりか、すでに用心深く手配して気狂という名をわたしにかぶせ、いずれわたしを食べる時に無事に辻褄を合せるつもりだ。衆みなが一人の悪人を食った小作人の話もまさにこの方法で、これこそ彼等の常用手段だ。 陳老五は憤々ぷんぷんしながらやって来た。どんなにわたしの口を抑えようが、わたしはどこまでも言ってやる。「お前達は改心せよ。真心から改心せよ。ウン、解ったか。人を食う人は将来世の中に容れられず、生きてゆかれるはずがない。お前達が改心せずにいれば、自分もまた食い尽されてしまう。仲間が殖ふえれば殖えるほど本当の人間に依って滅亡されてしまう。猟師が、狼を狩り尽すように――虫ケラ同様に」 彼等は皆陳老五に追払われてしまった。陳老五はわたしに勧めて部屋に帰らせた。部屋の中は真暗で横梁よこはりと椽木たるきが頭の上で震えていた。しばらく震えているうちに、大おおいに持上ってわたしの身体の上に堆積した。 何という重みだろう。撥ね返すことも出来ない。彼等の考は、わたしが死ねばいいと思っているのだ。わたしはこの重みがうそであることを知っているから、押除おしのけると、身体中の汗が出た。しかしどこまでも言ってやる。「お前はすぐに改心しろ、真心から改心しろ、ウン解ったか。人を食う奴は将来容れられるはずがない」
大清早,去寻我大哥;他立在堂门外看天,我便走到他背后,拦住门,格外沉静,格外和气的对他说,
“大哥,我有话告诉你。”
“你说就是,”他赶紧回过脸来,点点头。
“我只有几句话,可是说不出来。大哥,大约当初野蛮的人,都吃过一点人。后来因为心思不同,有的不吃人了,一味要好,便变了人,变了真的人。有的却还吃,——也同虫子一样,有的变了鱼鸟猴子,一直变到人。有的不要好,至今还是虫子。这吃人的人比不吃人的人,何等惭愧。怕比虫子的惭愧猴子,还差得很远很远。
“易牙⑻蒸了他儿子,给桀纣吃,还是一直从前的事。谁晓得从盘古开辟天地以后,一直吃到易牙的儿子;从易牙的儿子,一直吃到徐锡林⑼;从徐锡林,又一直吃到狼子村捉住的人。去年城里杀了犯人,还有一个生痨病的人,用馒头蘸血舐。
“他们要吃我,你一个人,原也无法可想;然而又何必去入伙。吃人的人,什么事做不出;他们会吃我,也会吃你,一伙里面,也会自吃。但只要转一步,只要立刻改了,也就是人人太平。虽然从来如此,我们今天也可以格外要好,说是不能!大哥,我相信你能说,前天佃户要减租,你说过不能。”
当初,他还只是冷笑,随后眼光便凶狠起来,一到说破他们的隐情,那就满脸都变成青色了。大门外立着一伙人,赵贵翁和他的狗,也在里面,都探头探脑的挨进来。有的是看不出面貌,似乎用布蒙着;有的是仍旧青面獠牙,抿着嘴笑。我认识他们是一伙,都是吃人的人。可是也晓得他们心思很不一样,一种是以为从来如此,应该吃的;一种是知道不该吃,可是仍然要吃,又怕别人说破他,所以听了我的话,越发气愤不过,可是抿着嘴冷笑。
这时候,大哥也忽然显出凶相,高声喝道,“都出去!疯子有什么好看!”
这时候,我又懂得一件他们的巧妙了。他们岂但不肯改,而且早已布置;预备下一个疯子的名目罩上我。将来吃了,不但太平无事,怕还会有人见情。佃户说的大家吃了一个恶人,正是这方法。这是他们的老谱!
陈老五也气愤愤的直走进来。如何按得住我的口,我偏要对这伙人说,“你们可以改了,从真心改起!要晓得将来容不得吃人的人,活在世上。
“你们要不改,自己也会吃尽。即使生得多,也会给真的人除灭了,同猎人打完狼子一样!——同虫子一样!”
那一伙人,都被陈老五赶走了。大哥也不知那里去了。陈老五劝我回屋子里去。屋里面全是黑沉沉的。横梁和椽子都在头上发抖;抖了一会,就大起来,堆在我身上。
万分沉重,动弹不得;他的意思是要我死。我晓得他的沉重是假的,便挣扎出来,出了一身汗。可是偏要说,“你们立刻改了,从真心改起!你们要晓得将来是容不得吃人的人,……”
十一 太陽も出ない。門も開かない。毎日二度の御飯だ。 わたしは箸をひねってアニキの事を想い出した。解った。妹の死んだ訳も全く彼だ。あの時妹はようやく五歳になったばかり、そのいじらしい可愛らしい様子は今も眼の前にある。母親は泣き続けていると、彼は母親に勧めて、泣いちゃいけないと言ったのは、大方自分で食ったので、泣き出されたら多少気の毒にもなる。しかし果して気の毒に思うかしら…… 妹はアニキに食われた。母は妹が無くなったことを知っている。わたしはまあ知らないことにしておこう。 母も知ってるに違いない。が泣いた時には何にも言わない。大方当り前だと思っているのだろう。そこで想い出したが、わたしが四五歳の時、堂前に涼んでいるとアニキが言った。親の病には、子たる者は自ら一片ひときれの肉を切取ってそれを煮て、親に食わせるのが好よき人というべきだ。母もそうしちゃいけないとは言わなかった。一片食えばだんだんどっさり食うものだ。けれどあの日の泣き方は今想い出しても、人の悲しみを催す。これはまったく奇妙なことだ。
太阳也不出,门也不开,日日是两顿饭。
我捏起筷子,便想起我大哥;晓得妹子死掉的缘故,也全在他。那时我妹子才五岁,可爱可怜的样子,还在眼前。母亲哭个不住,他却劝母亲不要哭;大约因为自己吃了,哭起来不免有点过意不去。如果还能过意不去,……妹子是被大哥吃了,母亲知道没有,我可不得而知。
母亲想也知道;不过哭的时候,却并没有说明,大约也以为应当的了。记得我四五岁时,坐在堂前乘凉,大哥说爷娘生病,做儿子的须割下一片肉来,煮熟了请他吃,才算好人;母亲也没有说不行。一片吃得,整个的自然也吃得。但是那天的哭法,现在想起来,实在还教人伤心,这真是奇极的事!
十二 想像することも出来ない。 四千年来、時々人を食う地方が今ようやくわかった。わたしも永年ながねんその中に交っていたのだ。アニキが家*のキリモリしていた時に、ちょうど妹が死んだ。彼はそっとお菜の中に交ぜて、わたしどもに食わせた事がないとも限らん。 わたしは知らぬままに何ほどか妹の肉を食わない事がないとも限らん。現在いよいよ乃公の番が来たんだ…… 四千年間、人食いの歴史があるとは、初めわたしは知らなかったが、今わかった。真の人間は見出し難い。
不能想了。
四千年来时时吃人的地方,今天才明白,我也在其中混了多年;大哥正管着家务,妹子恰恰死了,他未必不和在饭菜里,暗暗给我们吃。
我未必无意之中,不吃了我妹子的几片肉,现在也轮到我自己,……有了四千年吃人履历的我,当初虽然不知道,现在明白,难见真的人!
十三 人を食わずにいる子供は、あるいはあるかもしれない。 救えよ救え。子供……
没有吃过人的孩子,或者还有?
救救孩子……
(一九一八年四月)
俄国十月革命胜利后,鲁迅深受鼓舞,与李大钊、陈独秀、胡适等当时许多先进知识分子一起,写文章,办杂志,在中国“五四运动”结束后掀起了轰轰烈烈的新文化运动。他站在反帝反封建的前列,积极提倡新文化、新思想、新道德,猛烈抨击几千年来的旧文化、旧思想、旧道德。
年8月9日,鲁迅应钱玄同之邀,答应其为《新青年》写文章,并在年4月完成《狂人日记》的创作。在创作《狂人日记》之前,鲁迅曾经看过大约百多篇外国文学作品。《狂人日记》是鲁迅在经历了沉默与思索之后的第一声呐喊,作品中融入了他多年来的愤怒、怨恨、不满、焦虑,以及希望、祈求等各种复杂的情绪,也必然地体现了作者多年来对中国历史的深思和对现实社会的认识,是一篇彻底的反封建的“宣言”,也是作者此后全部创作的“总序言”。
狂人是一个患有迫害狂恐惧症的人,是鲁迅塑造的一个典型的思想启蒙者形象。小说中,狂人异乎常人的思想行为特征导致了他在生活环境中受到排挤、敌视,被认为“有病”。狂人的怪异言行是彻底而纯粹的。狂人在日记中所叙述的环境缺乏写实性,却一语道破几千年中国封建社会“吃人”的社会本质。作品中的狂人,实际上是一个象征性的形象。鲁迅明写狂人的狂态,实际上笔笔触动的都是读者思考时代、社会、人生真谛的心弦。狂人不是一般典型性格,他是象征性的,是整个五四时代先驱者愤激思潮的艺术象征。
《狂人日记》整篇作品几乎都是狂人内心世界的表白。狂人认为周围的人都在吃人,自己也要被迫吃人或被人吃。狂人被关起来,拒绝家人送来的饭菜,拒绝被医治,一直劝说周围人不要再吃人。直到最后狂人发现,也许自己就曾在无意中吃过自己妹妹的肉。绝望中的狂人发出“没有吃过人的孩子,或者还有?救救孩子……”的呼喊。
在小说的开头“狂人日记序”中写道:“劳君远道来视,然已早愈,赴某地候补矣。”狂人病体痊愈暗示的是其他人在精神上的不正常。在众人眼中,狂人是一个患有迫害狂恐惧症的病人,在狂人眼中,其他人才是吃人的人。这样的不同角度和立场,深刻的揭示了病态社会的悲哀。
小说通过古久先生的陈年流水簿子的形象暗示,将矛头直接指向保守的传统文化。“将来是容不得吃人的人”,是狂人对未来社会的幻想和规划;“我也未必没有吃过妹子的肉”,这是狂人对自我的评价和反思,也是自己对前途的绝望,充满了自我忏悔的精神;小说的结尾“救救孩子”的呼喊是狂人为建立新的社会而进行实践性的探索。在狂人看来,现实中的人都是有罪的,只有孩子是纯洁的,没有受到吃人文化的污染,因此要想有一个美好的未来,就只有把希望寄托在孩子们身上,就只能赶紧救救孩子。《狂人日记》不仅表现了彻底批判封建礼教的勇气,而且还表现了鲁迅“忧愤深广”的人道主义情怀,表现了他以文艺创作来改造社会和人生的总体精神。
作品中的主人公虽然是一个患有迫害狂恐惧症的狂人,但作品的主旨却并不是要写下层劳动人民所受到的迫害,更不是一个精神病人的纪实文学。而是要借狂人之口来揭露几千年来封建礼教吃人的本质,因此作品中的狂人,实际上是一个具有暗示性、象征性的人物形象。他身上同时存在着理性、非理性、启蒙、非启蒙的特征,他是被庸人社会宣布为疯子的觉醒者、受迫害者、见证者和长期受压抑的战士形象,是在近现代社会受到西方文化的影响,觉醒了却无路可走的知识分子的悲剧典型。
《狂人日记》的主题,据鲁迅说,是“意在暴露家族制度和礼教的弊害”。“弊害”何在?乃在“吃人”。鲁迅以其长期对半封建半殖民地的旧中国的深刻观察,发出了振聋发聩的呐喊:封建主义吃人。作者通过狂人的内心表白这样一种角度,揭露了中国封建社会“吃人”的社会病态,并且在文章末发出了对社会的深切忧虑和期盼。
《狂人日记》这篇作品具有强烈的现实批判性,直指中国封建主义文化的核心,同时对现实社会中的黑暗又进行了毫不留情的揭露。作者通过对狂人形象的描写,尖锐地揭示了家族制度和礼教的“吃人”本质,表现了作者对以家族制度和封建礼教为主体内涵的中国封建文化的反抗;也表现了作者深刻的忏悔意识。作者以彻底的“革命民主主义”的立场对中国的文化进行了深刻的反思,同时对中国的甚至是人类的前途表达了深广的忧愤。
《狂人日记》在中国现代文学史和中国现代文化史上都具有跨时代的意义。作为中国现代文学史上第一篇白话小说,它奠定了中国现代小说(文学)创作的基础;它的深切的思想是中国现代启蒙主义的高度概括。其在形式和思想方面都深刻影响了二十世纪中国文学史和中国思想史。
《狂人日记》在扩大文学革命的影响,开拓现代小说的道路特别是在批判封建礼教的流毒方面,其影响仍然是巨大而深远的。
《狂人日记》的启蒙主义思想特征,主要表现在对封建礼教的深刻揭露,对麻木愚昧的国民性的批判,以及对将来的坚定信念和热烈希望。作者写道:“我翻开历史一查,这历史没有年代,歪歪斜斜的每页上都写着‘仁义道德’四个字。我横竖睡不着,仔细看了半夜,才从字缝里看出字来,满本都写着两个字是‘吃人’!”礼教就是吃人,仁义道德是礼教虚伪的面具,这就是鲁迅对封建道德的定义,也是他多年来思考和认识的结果,也是这篇作品最辉煌的成就。
由于毛泽东对于鲁迅的极高评价,鲁迅作品理所当然地成为了负载新体制意识形态的投枪和匕首。《狂人日记》和其他一部分鲁迅作品被选入中学语文教材。
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